生き方・働き方のヒント

主張の是非は何で決まるのか?身勝手な思想になっていないか考える。

日常生活において主張が食い違うことはよくあることだと思います。

互いに自分の主張が正しいと言い、互いに相手の主張に釈然としない。

これらを客観的に見た時、どのようにしてどちらが正しいと論理的に判断すべきでしょうか?

もちろん人間は感情のある生き物ですから、論理的にこちらが正しいと判断できる理屈があったとしても、それをストレートに当てはめて考えるだけでは逆に話がこじれてしまうかもしれません。

でも、どのように考えれば相手も納得のいく主張ができるのか、自分の主張が身勝手になっていないだろうか、これらのことを考えるために軸となる理屈を確立することは非常に大切だと思うのです。

なので僕個人の意見をまとめてみました。

正しい言い分はどっち?

例えば学生時代の部活動にて

学生時代に部活動を経験された人は多いはず。

その部活動(競技)において、例えばこんな対立を経験した人は多いのではないでしょうか?

主張A:部活動なんだから勝負にこだわるのは当然。練習はレギュラーを優先すべき。

主張B:学校の部活動なのだから勝つことだけが全てではない。練習はみな平等にするべき。

上の例の場合、僕の経験では部員Aの言い分が正しいという人が多いかもしれませんね。でも、部員Bの言い分派の人も少なからずいるように思います。

では以下の例ではどうでしょうか?大会の選手に部員Aが選ばれ、部員Bは落選したとします。

部員A:部内屈指の実力はあるが練習態度は最悪。サボってばかりで部員からの評判は最悪

部員B:実力はそこそこだが、常に他の部員に気を配り同期、後輩からの信頼も厚い。部内で一番努力を重ねてきたと誰もが認める存在

これは結構賛否両論分かれるんじゃないでしょうか?

勝ち負けの競技なんだから実力主義で当然!って人もいれば、日々の態度が悪い部員なんかそもそも大会に出る権利はないって人もいるはず。

さて、これらの例でもっともな言い分はどちらなんでしょう?これだけで判断ってできるんでしょうか?

例えば職場の働き方に関する考え方について

職場においても主張の不一致は日常茶飯事だと思います。

以下に示すようなケースも多くの職場で見られるんじゃないでしょうか?

社員A:任された仕事はこなす。しかし周りが忙しくても他人の仕事まで手伝うことには否定的な考え。

社員B:仕事は協調性が大事との考え。自分の仕事しかしない社員Aに対して不満を抱いている。

当然、社員Aと社員Bの仲はあまりよろしくありません。

この場合、どちらの意見がもっともと言えるのでしょう?

よくある考え方の違いで、仕方がないと感情論に訴えてなだめるしかないのでしょうか?

目標や決め事だけが唯一の判断基準

言い分の是非を判断する上で大切なこと、思うにそれは「その集団での目標や決め事をどのように設定しているか」、これに尽きると思います。

例えば部活の例で言えば、部としての目標を「勝つこと」に置いているのなら主張Aが正しいと思いますし、部員Aが選ばれる理由の方がまっとうだと思います。

一方で同じ部活でも、仮に「皆が納得すること」にチームとしての価値観があるとしたら、逆に勝つことばかりに集中してあまり上手でない部員を後回しにするような行動は咎められると思います。

部活だとイメージが湧きにくいかもしれませんが、大学のサークルなんかだと同じスポーツでも、どちらかと言うと楽しむことが主目的のものが多いですよね。

サークルでも大会などはあるでしょうけど、集団の目的が楽しむことなのに勝つこと優先、下手っぴは場所を譲れなんて言ってたら白い目で見られるのは容易に想像できます。

職場の例についても同じです。

もしも取り決めの中で社員Aの仕事の範囲が明確であるのならば、それ以外の仕事をしないことについて咎められる筋合いはまったくないと思います。

特段の取り決めがない限り、社員Bの主張は自分自身で勝手に作った基準を相手に押し付けているだけにすぎません。

感情的に分からなくもないですが、少なくとも社員Aを非難してよい理由を説明することはできないと思います。

社員Bの主張を是とするためには、会社や部署の行動指針で触れられているとか、少なくとも皆が共有している何かの裏付けが必要となります。

 

重要なのは大前提として、正しい正しくないに唯一絶対の基準なんてないということではないでしょうか。

それを論じることができるのは、組織、集団の中での目標だったり、決まり事が何であるのかとの比較だけなのです。

よくよく考えてみると「これはさすがに当たり前だろう」ということですら、結局人間がそのように基準を作ったから当たり前と言えるに過ぎない事例はたくさんあります。

例えば「人を殺すのは悪だ」という考え。

現代の人々でこれに異議を唱える人はほとんどいないでしょう。いたとしたら危険人物として「お前は間違っている」と言われると思います。

でも、人を殺すのは普遍的に悪なのでしょうか?

ひょっとしたら、文明を築く前の野生に近い人類の時代ではそんな考えはなかったかもしれませんし、ある時代の文明では奴隷同士の殺し合いが娯楽となっていた事例だってありますよね。

「人を殺すのは悪だ」というのは、あくまで現代社会の中で法律でそう決まっているからであって、その決め事との比較で判断されているにすぎないと言えるのです。

にもかかわらず、無意識のうちに”唯一絶対の正しい基準がある”と思い込んでいる、または正しい正しくないが流動的であることを意識していない人が多いのではないでしょうか?

問題が起こるのは大抵次のどちらかの場合

組織や集団の中で意見が対立する場合、大抵次のどちらかのケースで起こっているような気がします。

  1. 決め事や目標を認識せずに「自分(達)の主張が当然」と思い込んでいる人が対立の引き金になるケース
  2. そもそも決め事や目標があいまいになっていて、みなが「自分(達)が正しい」と主張しあって揉めるケース

同じように主張の違いで揉めたり対立したりしているのですが、①と②のケースでは根本的な原因が大きく異なっており、それぞれ対処の仕方が異なるように思います。

①のケースは、組織や集団の決め事や目標といった基準があるわけですから、それを考慮しない個人の方に問題があると思います。

一方で②のケースは、①と同様に個人の問題もありそうですが、そもそも決められた共通の基準をはっきりさせていない組織上の問題でもあると言えます。

自身の主張をする時に気を付けるべきこと

何をもって正論と言えるのかを常に念頭に置くこと

先の①のケースのように組織としての目標や判断基準が明確な場合、何か主張する時は必ずそれらに合致するからと結ぶようにすることが大切だと思います。

例えば仕事の場合、営利企業であれば会社の最終的な目標は利益を上げることだと思いますし、実際会社の行動指針もその利益に結び付くようなものが設定されているかと思います。そうすると個人の行動もこれに合致しているものが正しいと言えるはずです。

世間一般でよく聞かれる対立に「昔はこうだった」に対する賛否両論があると思います。

これが対立を呼ぶ原因の一つは、「昔はこうだった」と主張する側が、なぜ昔のやり方をすることが今の目標に対して最善と言えるのかをきちんと説明できていないからだと僕は思っています。

ここでの前提で言えば会社の目標は利益を上げることですから、例えば

「昔はパソコンがなかったので手計算で技術検討をしていた。でもそうすることで表面的でなく本質的なことに目が向き、品質が向上して会社の利益に繋がると思う。だからこのやり方の良い面は捨ててはいけない」

とちょっと長いですけれど、こう言われればいくらか納得感が出るのではないでしょうか?

でも実際、昔はこうだったと言う人でここまで説明する人はほとんどいないと思います。むしろ多くの場合、

「俺はこんな苦労をしたんだから、お前も同じ苦労をしろ。じゃないと気に入らない」

って感じ取っている人が多いんじゃないでしょうか?

組織の目標は「昔はこうだった」と主張する人の気持ちを満足させることではありませんから、根底の理由がそこにあるならばそれは受け入れられなくて当然だと思います。

もしもそうでないのであれば、なぜ昔のやり方が現在の状況でも判断基準に照らし合わせてと有効と言えるのか、説明すれば良いだけですし、説明する必要があると思うのです。

判断基準がない場合、主張はあくまで提案で

反対に②のケースのように共通の目標や基準がない場合、正しい正しくないを論理的に説明することは不可能だと思います。

先の働き方に関する考え方の違いについてでも、自分の業務の幅が決まっていて、それ以外の仕事までやらないといけない理由がどこにも決まっていないのであれば、「業務外の仕事も手伝うべきだ」は個人の感情論でしかないと思います。

このような場合、自分の主張に正当性を持たせるのであれば、まずは組織や集団の中で裏付けとなる決め事であったり共通認識を新しく作る必要があります

そうすると必然的に主張の仕方は「~すべきではないか」や「~した方が良いのではないか」など提案や説得に近いものになると思いますし、そうすべきだと思います。

決してやってはいけないのは「あなたの考えは間違っている!」などと断定してしまうことです。

この時点で自分の主張を裏付ける根拠は何もないのですから、相手からしてみれば道理がなく不快なものと思われても仕方ありません。

あくまで集団の中で定義があって初めて是非の判断ができるということを、この場合でも意識する必要があると思うのです。

終わりに

考えてみれば職場、学校、日常生活、どれをとっても他人との関わり合いであるわけですから、それぞれ基準となる考え方が異なるのは当たり前のような気がします。

にも関わらず、無意識のうちに「これは当たり前」と自分自身の基準だけで断言してしまっている人は非常に多いように思います。

「競技なんだから○○で当たり前」

「仕事なんだから○○で当たり前」

でもよくよく考えると、果たして本当にそうなんだろうか?と疑問を抱くことはたくさんあると思います。

特に現代は、これまでの日本特有の集団意識が通用しなくなって、それぞれの個性が重視される世の中になっていると思います。

そんな中でふと投げかけられた主張や意見が、実はよくよく考えると的を射たものであったり、集団での目標や定義がいかにあいまいであるかを認識するきっかけになったりすることがあると思います。

何かの主張に出会った時、自分の主張を展開する時、果たしてそれが正しい、まっとうだと言えるものであるのかどうか、じっくりと考えてみてはいかがでしょうか。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です