年齢だけで役職に見合った活躍が求められる負担
こんにちは。ころすけです。
僕はいわゆるアラサーと呼ばれる年齢ですが、年を重ねるごとに「それ相応の人物に」というプレッシャーのようなものを感じるこの頃。
日本独特と言われる年功序列制度。一見働く者にとってとても優しい制度に見えますが、本当にそうなんでしょうか?
30歳前後で係長、40過ぎで課長に昇進。時期に多少の前後はあれど、少なくとも一部署をまとめる役職にはほとんどがなる。
これって裏を返せば、その年齢になった時にそれ相応の実力をつけていなければならないってことですよね?
いや、やる気のあるなしの問題じゃないですよ?
問題なく適性がある人はいいですよ。
でも、やる気があったってどうしたってその域まで達することができない人だっている。
そういう人は昇進の時期が来たときにレベルに達していないと、「出来が悪い」と批評される。
出来が悪いから評価されないのは分かる。
でもこの場合、なんか悪者みたいに扱われている気がしません?
「君はまだ未熟だから昇進までもう少しがんばろう。あっはっはー」
じゃないですよ。
「てめぇ、なんでまだそのレベルなんだよ!さっさと使えるようになってくれなきゃ困るんだよ!」
ってこんな感じじゃないですか?
これはその年齢に達した時に到達すべきレベルにあることが前提だから。無理やりにでも役職の歩調に合わせないといけないってことなんですよ。
出来が悪い=悪人ではない。でもそんな雰囲気ってありません?それってすごく辛いことじゃないですか。
いいじゃないですか、ただ出来の悪い人で評価しておけば。それができないのはそれ相応の役職なり給料が発生してしまうからでしょう。
それでも役職は上がっていく。その結果・・・
でもって、それでも結局しぶしぶでも何らかの形で役職が上がっていくことがほとんどじゃないですか。
これはね、もう最悪。最悪ですよ。
何が最悪って、その下に就く人たちが不憫。だって身分不相応の人が上に就くんだから。
ちなみにこれ、僕は身をもって経験しました。もうやるせなくってどうしようもなかった。
周りの人からもものすごい同情された。
でも同時に思っていたことが、「この上司も可哀そうだな」ってこと。だって本人だって望んでその役職についているわけではなさそうだったから。
身の丈に合わない肩書きに無理に自分を合わせなきゃいけないっていうのは、はたから見ていると気の毒にさえ思えてくる。
それでもいい面もあると思う。もっといい仕組みはないものか。
まあでも安定して賃金が増えていくシステムは確かに働き側に安心感を与える効果はあるだろうし、実際それで成功してきた時代もあると言われているわけで、真っ向から否定するのも違うかなと。
発展途上にある会社や人の出入りが激しい会社では、社員を繋ぎ止めるアメとしての効果はあると思います。
これからは実力主義の時代だ!って風潮ではあるけれど、そもそも実力や成果を目に見える形で定義してこなかった社会がいきなりやれと言ったって「実力ってなんだ?」「成果ってなんだ?」ってなるから、一定程度制度が残るのは日本では合っている気もする。
だったら基本給では年功序列を残しつつ、役職では切り離すとかできないのでしょうか。
少なくとも、年を重ねたからって役職や責任が本人の器を超えて課せられる場合がある点に関しては、本人にとっても会社にとっても良いやり方ではないと思うんですよね。
とりあえずは年齢に見合った活躍ができるようにがんばりますか。
では!