生き方・働き方のヒント

日本人はもっと主張すべきでは?主張の意味について考える

こんにちは。ころすけです。
2020年が始まりましたね。

香港のデモは昨年から引き続き、フランスでは国鉄に対する従業員のストライキが起こっているようです。

今年も世界各地で主張の応酬が活発なようですが、我が国日本ではちょっとおとなしめかな?という印象を抱いています。

正直な話、自分はこれらの話で何が争点になっていて、お互いがどのような主張しているのか、それほど詳しくはありません。

でも、政治家vs市民、経営者vs従業員の構図は違えど、互いに主張しあっているのは同じであり、日本人もそれを見て考えるべきことがあると思うのです。

内容はともかく、人との関わりで主張することの意味をもっと論理的に真剣に考えてみてはと思い、自分の考えを書き出してみました。

主張に正解、不正解などない

まず大前提として、人と人とが主張をしあう場合、どちらが正しい正しくないなんて決められない場面しかないと思うんです。

なぜなら、正しい正しくないを論じることができるのは、法律や規則で決まっていることしかないから
こういう場合は主張するしない以前に判断の決着がついていますから、主張もなにもないですよね。

もっとも、法律や規則が絡む場合でも、その法律がなぜ適用できると言えるのか、その規則をどのように解釈したか、という具合で主張が食い違うことはあるように思います。

けれども、それらもあくまで法律や規則で決めきれていない部分、すなわち、正解、不正解がない部分でしか主張が発生しないことには変わりないと思うんです。

考えてみれば当たり前の話なんですが。

主張の解釈は人や立場によって全く異なる

「給料が安い」


こんな主張があったとしましょう。

例えば「安い」とは具体的にいくらのことを指すのでしょうか?
月給で15万円という人もいれば、30万でも安いという人もいるでしょう。

育ってきた環境、性格など人によってどこが主張の境界になるかは異なるわけです。
当然、どこが正解って答えがあるわけではありませんよね。


また、どの立場でその主張と向き合っているかも重要だと思います。

先の「給料が安い」では、より詳しく主張を書くと、

「給料が安くて生活ができないので不満だ」

という一例が書けそうですが、これは言うまでもなく従業員側からの主張です。


一方で経営者側からの立場で「給料が安い」に対する主張を書くと、

「給料は安いが会社の業績や他社と比較すれば適正だ」

と一例を書くことが出来ます。

目線が経営者側に移ると、先ほどの従業員の主張とは異なるものの見方となっていることが分かりますね。

従業員は自分の生活目線で給料を捉え、経営者は会社の業績目線で給料を捉えているわけです。

押さえておきたいのは、主張というのは多くの場合、互いに相反する立場の人がいるのが普通であり、しかも同じ立場の人でさえも主張の中身が異なるということだと思うんです。

主張とは考え方の綱引き
綱を引かなければ得るものはない

先の話で、主張に正解不正解などないと言いました。
そして、主張とは立場の違いや個人の考え方でも中身が異なるということも言いました。

つまり、どの主張が肯定されても不思議ではなく、また自分自身が100%納得できるものであることは極めて稀だと言えるわけです。

どの主張が肯定されるかは、多数派の支持を得られるか、社会的な地位や権力の度合いなど様々な要素が絡むと思います。

ですが、自らの主張をしない限りは自分の思うような結果にはならないことだけは確実に言えると思います。

主張する相手は少なからず自分の主張を通したいと思っているわけで、対するものがなければその主張が世の中で力を持つことになるでしょう。
そして、それが自分と全く同じ主張であることの方が稀なわけですから。

良くも悪くも残る日本の慣習

ここ最近は不景気やら社会情勢の変化やらで、いわゆる日本型雇用や働き方への考え方を中心に、これまでなかった主張が世の中を変えつつあるように思います。

「長時間労働は是正されるべきだ」
「育児や介護のための柔軟な働き方を認めるべきだ」
「会社都合に縛られずに自由に有休を取るべきだ」

などが例として上がるでしょうか。

元々、従来の日本の働き方に関する考え方は、日本特有の空気を読んで主張を合わせる文化が多分に影響していたと思います。

これらは場合によっては美徳ではあるけれど、現状の働き方に関しては害にしかなっていないと思うので、こうした新しい主張が叫ばれているのは非常に望ましいものだと思います。

けれども、こうした動きはそう主張した人たちがいるからこそ変わってきているんだってことを、今一度考えないといけないのかなと思うんです。

なんとなく今の風潮を見ていると、

「今の時代、長時間労働が美徳でないなんて言わなくても当たり前でしょ」

って感じの人が多いように思うんです。

長時間労働否定派にとって追い風の世論になってきているだけであって、それは誰かが主張しなければ得られなかったものだと認識していない人が多いことに疑問を感じるのです。

それはきっと、日本古来の主張を合わせる文化が、依然として多くの日本人に根付いているからではないでしょうか?
自分の主張と他人の主張は同じ、だから誰かが代わりに主張してくれる。こう思っている人が多いのではないでしょうか。

日本の文化を否定するつもりはありません。
しかし、社会が変化し、グローバル化や多様性が問われる今、それが通用しない場面があることを意識する必要があると思うんです。

今の日本を見ていると、自分の想いと全然違う方向に行ってしまっているのに、なお黙っている人が多い気がして、なおさら主張することの重要性を感じるんです。

まずは身近な場面から

主張、主張と言いますが、何も大きな変革をもたらすことばかりではないと思うんです。

身近な場面で、

これはいいと思う、これはこっちの方がいいと思う。
これのここは悪いと思う。こうした方がいいと思う。

些細なことで自分の意見を言うだけでも主張だと思いますし、むしろそうした積み重ねが大事じゃないかなと思うんです。

僕自身、社会に出てから「え?自分の考えと違う・・・」と思う場面がすごく多いと感じています。

でも、考えと違うまま行動していて、いい結果になった試しがないように思うんです。

それに主張って、先に書いたように視点が違うだけで、結局どれが正解かなんて誰も分からないものだと思うんです。

もっと肩の力を抜いて、単純に「こう思うから」を発信することを心がけてみてはいかがでしょうか?

では!

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