生き方・働き方のヒント

仕事ができない人は悪なのか?素朴な疑問こそが社会問題を解決するヒントです。

こんにちは。ころすけです。

「仕事ができない」

こう悩む人は多いのではないでしょうか?または、

「周りの連中は仕事のできないやつばかりだ!」

と愚痴をこぼす人も多いかと思います。

このように立場は様々あれど、「仕事ができる or できない」の問題で頭を悩ませることは、社会人であれば誰しもが一度はあるのではないでしょうか?

でも、ちょっと待ってください。

そもそも仕事ができないって、そんなに悪いことなんでしょうか?

「悪いに決まってんだろ!」

と言う声が聞こえてきそうですが、その理由をきちんと説明できるでしょうか?

この記事では「仕事ができない」というテーマに焦点を当てて、以下について僕の見解を述べたいと思います。

1. 「仕事ができない」は悪なのか?
2. 「仕事ができない=悪」から見えてくる日本社会の問題点
3. 「仕事ができない」と悩んでいる人へのちょっとした助言

僕はこれまでに3回転職を経験して、様々な職場環境を目の当たりにし、多少なりとも働き方について見解を述べる知見があると思っています。

一個人の考えですが、どうぞお付き合いください。

仕事ができない人は悪なのか?

仕事ができない人は悪なのか?結論:日本の社会では悪になります

最初に結論から言いますと、少なくとも“日本社会においては”、仕事ができない=悪になってしまうかと思います。

「悪」と言うと言葉が悪いですが、少なくとも「仕事なんてできなくてもいいじゃん」と突っぱねる道理は通らないように思います。

なぜか?理由は以下のとおりです。

日本では能力如何に関わらず給料が決まっていて、簡単にクビにならないから

最近では個人の能力評価を導入しているところもありますが、一部の職種や非正規雇用を除いて、日本のサラリーマンは基本的に年功序列・終身雇用の制度が色濃く根付いています。

例えば予め月給が30万と決まっていて、しかも「仕事ができない」を理由にクビにできないのであれば、30万分の仕事をしてもらわないと困るわけです。

つまり、仕事ができない=給料泥棒になってしまうのです。

ある意味で最初に餌を撒いておいて、それを口実に強硬な条件を押し付けるなんて、なんだか物騒ですよね。

ちょっとこじつけのように聞こえるかもしれませんが、間違っているでしょうか?

年功序列・終身雇用は一見、働く側にとって幸せな制度に思えますが、見方を変えるとこのような負の側面があるのです。

身分相応の対価であれば誰も文句は言いません

そう考えると、逆に働きの貢献度に応じた対価が支払われるのなら、仕事ができない=悪とはならないのでは?と発想が湧いてきます。

仕事ができなくても給料が安い、または業績不良でクビにできるのであれば、できない人材に対してそこまで過剰な反応はしないはずなのです。

仕事に対する罪悪感は、待遇の不平等がなければ発生することはありません

そもそも仕事ができなくて悩む人は、周りの活躍を見て「自分も同様の貢献をしなければならない」と感じていると思います。

ですが例えば学生時代に、テストで隣の子の点数が良くて自分の点数が悪いからと言って、罪悪感を感じたことはあるでしょうか?

悔しい、残念という感情こそあれ、罪悪感を感じる人は滅多にいないと思います。

テストの結果によって受ける待遇が平等であれば、悪だのなんだの考える余地はないのです。

定期昇給ってブラックな制度ですよね?

さらに日本の年功序列型制度では、年齢に応じて給料が上がっていくわけですが、これも考えてみればブラックな側面があるわけです。

要は、成長しない人材は悪であると、制度の側から突き放しているようなものだからです。

何度も言いますが、これは非常に偏屈なものの見方を敢えてしています。

ですが年功序列・終身雇用=労働者に有利と、半ば固定観念が出来上がっているものに対しては、このように少々偏屈な考え方をするのが有効です。

そうすることで、固定観念の裏に隠れていた事実が見える場合があるからです。

従来型の雇用制度に隠れた負の側面

従来型の雇用制度に隠れた負の側面

勝ってる時は良い制度。負けてる時は大問題。

「仕事ができない=悪」となる裏には、能力如何に関わらず待遇が約束されていることが背景にあるわけですが、これ自体がどんな時でも悪い制度とも限りません。

経済にゆとりがあって、世の中の風潮もおおらかな時は、全体の待遇を上げることはプラスだと思います。

スポーツの試合でボロ勝ちしている時は、補欠の選手を出したり、活躍の場面を回してあげたりした方がチームにとってはプラスになりますよね。

余裕がある時は多少貢献度の低い人材に寄り添った待遇を与えても、それほど問題にはなりませんし、むしろその方が社会や経済は安定します。

一方で世の中のゆとりがなくなってくると、そうも言ってられません。

勝つことに必死にならなければならない場面では、どうしても貢献度の高い人材に頑張ってもらわないといけないですし、待遇の不平等に対して敏感な空気も生まれます。

スポーツでも勝ってる時は問題ないのに、負け始めると「あいつが悪い」「俺はこんなに頑張ってるのになんで」と、途端に不平不満が漏れてくるようになったという話を聞くことはないでしょうか。

一般社会においても、理屈は同じです。

この場合は逆に、社会の情緒不安や競争力の低下を加速させます。

今は簡単に勝てない時代なので、制度改革が必要です。

そもそも何が勝ち負けか難しいところですが、日本社会の状況は「負け始めている」か、少なくとも「勝つことが難しくなっている」で間違いないと思います。

経済の成長が鈍化し、競争相手も世界の国々を相手にしなければならない時代だからです。

これまでのように全体の待遇を一律に保つことは、もう不可能に近いことで、制度改革は避けられません。

具体的には、貢献度に応じた待遇が得られる制度が必要で、貢献度が低い人=仕事ができない人は待遇を下げざるを得ないと思います。

ただしこれは「仕事ができない人」を排除するわけではなく、逆に居場所を与えることに繋がります。

貢献度に比して妥当な待遇を受けているのであれば、少なくとも、これまでのような厳しい目線は緩和されると期待できるからです。

こんなこと言うと、労働者の賃金を下げるために経営者から派遣された回し者のように思われるかもしれません。

ですが、何が全体で見た時の幸福につながるか?を考えると、一理ある考えだと思うのです。

【助言】仕事ができないと感じている人へ

仕事ができないと感じている人へ

悪いのはあなたではありません。悪いのは社会制度です。

何となく「仕事ができない人」を擁護しているのか、そうでないのか分からない記事だと思うかもしれませんが、少なくとも次のことが言えます。

「仕事ができない」に対して罪悪感を抱いたり、周囲の厳しい目線に遭うのは社会制度下での見え方の問題であって、絶対悪ではありません。

要は社会制度の在り様によって世の中の風潮も変わるので、その人自身に全責任がある問題だと、考えすぎる必要はないのです。

この場合は貢献度に応じて柔軟に人材の配置や待遇を調整できない仕組みに問題があるのであって、個人が受ける仕打ちはそのとばっちりの側面があるのです。

むしろ自分自身の貢献度を客観評価しているとも言えます

世の中には明らかに周りに迷惑をかけているにも関わらず、全く意に介しない人や、そのことに気が付かない人も存在します。

そうした人たちは今ある社会の問題点にも気が付かず、ただただ周りの足を引っ張るだけの存在になりかねません。

一方で、仕事ができなくて罪悪感を感じるという方は、罪悪感をヒントに社会の矛盾や改善点に気が付く可能性があります。

悩み=世の中の改善点のヒントです。

僕自身がこの考え方に至ったのも、とある職場で仕事がうまくいかない日々が続いていた時に、ふと「何で仕事ができないといけないんだろう?」と考えたことがきっかけです。

自分が仕事にではなく、仕事を自分に合わせるは合理的

ここまでの話のとおり、仕事ができなくて罪悪感を感じるのは、制度面で仕事が個人の貢献度に合わせる柔軟性を持っていないことが原因の1つです。

ですが、制度面が変わるにはそれなりの時間が必要です。

そうすると、まずは自分が仕事の対価に見合うよう努力する必要があると言えますが、柔軟性のない社会制度に問題があることも考慮すべきです。

早い話が、転職して仕事の方を自分に合わせようとすることも、全然アリということです。

仕事に向き不向き、居心地の良い環境とそうでない環境、合う合わないの要素はあるのです。

仕事ができないと悩む人の多くは、自分の努力不足を責める傾向が強いかと思いますが、「仕事ができない=悪」が個人の全責任でないことは既に述べた通りです。

ものは考えようと言いますが、「それが当たり前」「こうでなければならない」と考えていたものが、視点を変えると別の考え方もできるというわけです。

 

本記事はここまでとなりますが、どのように感じられたでしょうか?

みなさんの「なるほど!」や「そんな考えもあるんだ」に繋がれば嬉しいですね。

以上!

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