「飲み会 行きたくない」
「飲み会 断り方」
「飲み会 苦手」
”飲み会”で検索するとこんなネガティブワードが上がってきます。
昨今、若者の飲み会離ればかりがやり玉に挙げられますが、調べてみると30代、40代でも飲み会が嫌いって人が一定数いる模様。
僕自身、飲み会は嫌いではないですが、正直あまり得意な方ではありません。
一方で飲み会がもたらす効果(仲が深まる)とか、それは確かにあると思います。
だから無下に飲み会嫌い、飲み会意味ないって意見に賛同するのは良くないと思うのです。
僕は飲み会が得意ではないと言いましたが、それは単にお酒がそんなに好きではないからという意味が強いです。
それを排除して、単純に「イベントとしての飲み会」を考えると、どうも自分の中で良かったと思う飲み会とそうでない飲み会があることに気づきます。
どういう時にダメな飲み会だと感じるのか。それはなぜなのか。まとめてみました。
飲み会の目的=親睦を深める
友人同士であれ、会社の付き合いであれ、飲み会の目的と言えばこれだと思います。
・新しい人を歓迎する
・出ていく人を惜しむ
・日々の苦労を労う
・みんなで何かを始める前の決起
・記念日を祝う
・単に楽しみを求める
細かく分ければ飲み会の理由は数あれど、集団で飲む時の理由はみな
「他者との結びつきをこれまで以上に強くする」
に大体なっているかと思います。
飲み会って言わずに「親睦会」って言ったりする場合もありますから、飲み会=親睦を深める会ってのは言わずもがなですね。
確かに集団で行動するには信頼関係が必要ですから、この目的が果たせるのであれば飲み会はぜひともやるべきものだと言えますね。
なぜ飲み会に行きたくないのか?否定派の理由は?
単に飲み会に行きたくないと言っても人によって理由は様々だと思います。
ざっと上げると
- 会費が高い
- 料理の質が悪い
- 家族と過ごす時間が削られる
- 会話の中身がない
- 会話に参加できない
- 無理な酒を強要される
こんな意見が例えば思い浮かびます。
ここでちょっと注目ですが、①~③の理由と④~⑥の理由は別物として分けた方がいいと思うんです。
なぜなら①~③は確かに飲み会に行きたくない理由にはなるけれど、それがあってもなお参加したい!って人がいる理由だからです。
会費がいくら高くたって参加する人っていますよね。
料理なんかどうでもいい、家族そっちのけで飲み会優先!って人も確かにいる。
だからこれらの理由は、飲み会が敬遠される根源的な要素ではないと言えます。
一方で④~⑥ですが、こちらは誰であっても当てはまれば参加したくない理由にしかならないものだと思います。
中身がないと思っていて参加したいという人はいないでしょう。
ここで中身がないと言う人の意図は、教養があるとかではなく、価値感の話だと思います。
教養がない会話でも例えば「楽しかった」と思える会話なら、中身がないとの意見にはならないでしょう。
こう答える人は心底では「いまいちな時間」って捉えているはずで、そのような気持ちでもなお参加したい欲求にかられる人は皆無だと思います。
同様に、会話に参加できないのに参加したい!って人もいないはず。
まれに「人の話を聞いているだけでいい」って人も見られますが、それはある意味で会話に参加しているので例外ですが。
無理な酒なんて、嫌だから「無理」ってつくわけですから言わずもがな。
こう考えると、④~⑥の理由で敬遠される飲み会というのは、根本的な問題を抱えた飲み会である可能性が高いと言えます。
ダメな飲み会は当初の目的を果たせていない
先の④~⑥に当てはまるような飲み会は何かと言えば、
目的である「親睦を深める」ができていない飲み会だと言えます。
親睦とはお互いが有意義と思える時間を過ごすことで深まるものだと思いますが、④~⑥では明らかに一方の気持ちは親睦とは逆方向に向かっています。
それにも関わらず飲み会の大義名分は基本的に「親睦を深めること」になっていますから、この矛盾に対して
「飲み会っておかしくない?」
という疑問が生じているのだと思います。
こういった飲み会は大抵の場合、一方通行の親睦会になっていることがほとんどだと思います。
一方は楽しく、有意義な時間を過ごしているけれど、相手のことをまるで考えていない。
もしくは、自分が楽しいことは相手も楽しいだろうと思っている。
相手のことを考えていない時点で親睦とは程遠いことは自明ですよね。
ダメな飲み会はやればやるほどデメリット
ダメな飲み会は親睦とは真逆の方向に行くわけですから、当然回を重ねるごとに参加者の心が互いに離れていく結果となります。
問題なのは、それにも関わらず「飲み会は参加すれば親睦が深まる」と無意識に考えているであろう人がたくさんいることです。
僕の新卒の時の話ですが、こんな話はよく聞くんじゃないでしょうか?
活発で仕切り屋のAがいました。
彼は同期全員に「親睦を深めるために」と声をかけて飲み会を開いていましたが、大抵話が合うAほか数人がグループになり、いつも輪に入れないBがいた。
Bは次第に飲み会に参加しなくなり、それに対しAは
「親睦のためにやってるのにあいつは協調性がないな!」と不満を漏らすようになった。
本来「他者との結びつきを強くするため」の飲み会であるはずなのに、逆に関係が悪くなる結果となっているのです。
Bは比較的おとなしめで、Aとは趣味趣向が違う奴でしたが悪い奴ではありません。
仕事の休憩時間中に話をしても、結構面白い。
ただ、飲み会のノリやAのノリとはちょっと違うなというのはありました。
本来、飲み会=親睦を深めるが目的であるならば、こういう趣味趣向が違う者同士が近づき合うことこそが目的なのに。
皮肉だと思いませんか?
親睦とは名ばかりであり、仲良しグループとそうでないグループを分ける会になっているのもダメな飲み会に見られる傾向の一つです。
もちろん、このケースでA側の歩み寄りが足りないのか、B側にも問題があるのか断定はできません。
けれども「飲み会をやれば絆が深まる」って考えがAの日ごろの発言からチラホラ感じられていて、それは一方通行の想いだよな、というのは感じていました。
そもそも飲み会にこだわる必要はない
もしも飲み会の在り方を変えて改善するのであれば、まずそれを試すのは有効です。
相手に話を振ったり、話題を変えてみたりとか、暴走する人をなだめたりとか。
要は双方向の会になるように気に掛けることが改善策の一つと言えます。
けれども、どうしたって飲み会の雰囲気自体が合わない人とか、お酒が苦手って人はいますよね。
そういう場合、そもそも親睦を深める手段を飲み会に限定する必要はないと気づくべきです。
本来、親睦の深め方なんて様々で、日々のちょっとした休憩時間に話をしてみるとか、お酒のない別のイベントを利用するとか、手段は他にもあります。
ダメな飲み会は親睦の意味でやればやるほど悪影響ですが、なぜそれが繰り返されるのかという理由の一つに
「飲み会以外の親睦の深め方を知らない」
というのが多分にあると思います。
飲み会は開催の仕方次第で親睦を深める非常に有効なイベントになります。
けれども、親睦を深める方法が飲み会しかない場合、当然ことあるごとに飲み会、飲み会と連呼されることになります。
こうなると、たとえ良い飲み会であっても金銭的、時間的な負担は増していきます。
ましてやそれが悪い飲み会であれば、金銭的、時間的な負担とともに人同士の絆が脆くなっていってしまうわけですから百害あって一利なしです。
ダメな飲み会にならないように注意を払う一方で、飲み会以外の絆の深め方も同時に考えなくてはいけないですね。
以上!